【犬のことわざ・慣用句】意味や由来をご紹介!海外のことわざも

2022/02/16

目次

犬の有名なことわざ・慣用句を紹介

有名なことわざや慣用句には動物に例えに使ったものが多く存在しています。

中には犬にまつわることわざや慣用句もあるので、ここでは犬の有名なことわざや慣用句をご紹介します。

犬に論語

犬に論語と簡単に解説すると「道理の通じない者には何を言っても無駄である」ということです。

詳しく解説すると何かに対して理解する力が無かったり、そもそも聞く耳を持たなかったり、聞いたふりをして話を流したりするような人を批判する意味で使われます。

従って、このことわざは基本的にはマイナスな意味合いになるんですよね。

例えば、ある事柄に対し偏った考え方をしており、他の考え方を受け付けないような人に対しては何を言っても意味はないでしょう。

いくら一生懸命話しても他の考え方を受け入れないので無駄に終わってしまいます。

このような場合に「犬に論語」ということわざを使います。

また相手ではなく自分の状態についてこのことわざを使う場合は、自分にはその話は何らかの理由で理解することができないと伝えたい場合です。

兎を見て犬を呼ぶ

兔を見て犬を呼ぶとは、事を見極めてから対策をしても遅くないということです。

また、一見手遅れに見えても、対策次第で間に合うこともあるのであきらめてはいけないという意味もあります。

兔を見つけてから猟犬を呼ぶという意味からつけられたことわざなのですが、兔を見つけてから猟犬を読んでも遅すぎるとの意味で手遅れの例えとして用いられることも。

同じ意味のことわざに「兔を見て鷹を放つ」があります。

犬に小判

犬に小判とは猫に小判と同じで、どんなに尊い貴重なものであっても、価値の分からない人が持っていたら何の役にも立たないことの例えを言います。

犬はエサに飛びつきますが、小判を投げても食べないし使うこともできないですもんね。

江戸時代から使われていたようなのですが、実際は猫に小判より犬に小判の方が歴史は古いとのこと。

同じいみのことわざに「犬の前の説教」「犬の銭見たるが如し」などがあります。

犬一代に狸一匹

犬一代に狸一匹とは大きなチャンスは一生に一度というほど、なかなか巡り合うことはないということのたとえで、絶えず獲物を探し回っている犬であっても、狸のような大きな獲物を取るのは一緒に一度くらいのものという意味です。

例文をご紹介すると「犬一代に狸一匹で、今回のようなチャンスは二度とないから、挑戦してみよう!」と使うことができますね。

類語のことわざには「鍛冶屋一代の剣」などがあります。

犬も歩けば棒に当たる

犬も歩けば棒に当たるは良く耳にすることがあると思いますが、実は2つの意味が存在しています。

1つ目は「あまり出しゃばった行動をすると、思わぬ災難に会う」で、2つ目は「何か行動を起こせば、思ってもいないような幸運に巡り合える」です。

全く真逆の意味ですよね!

もともとは1つ目の意味だったのですが、現在は行動を起こすことのメリットとして使われることも多くなったことわざです。

このことわざは解釈で意味が変わるのですが、「棒に当たる」は棒で殴られるという意味があり、ことわざ全体で捉えると「犬も歩いていれば、人に棒で殴られることがある」となります。
思ってもみない災難ですよね。

また「当たる=幸運」という捉え方をして意味を変かさせたのが「何かをしていれば幸運に巡り合える」という2つ目の解釈になるのです。

つまり「幸運に巡り合うためにも、行動を起こそう」というプラスの意味に転換しているので、使い方によって全く真逆の意味になるなんて面白いことわざですよね!

犬も朋輩鷹も朋輩

犬も朋輩鷹も朋輩の読み方は「いぬもほうばいたかもほうばい」です。

何だか難しそうなことわざですが、意味は「鷹狩りにおける犬と鷹のように、役割や地位など待遇が異なっていても同じ主人に仕えていれば同僚であることに変わりはないこと」となります。

「朋輩」とは同じ主人に仕える仲間、同僚を指しており、上下関係なく、平等な関係であることを伝えたい時に活用することわざです。

注意しなければいけないのがこのことわざは上の立場の人が下の立場の人に対して使用することわざあるという点です。

目上の人に対してこのことわざを使うと失礼にあたるので使い方には十分注意しましょう。

孫飼わんより犬の子飼え

孫飼わんより犬の子飼えの意味は、「孫をいくら可愛がっても、孫が老後の面倒を見てくれるとは期待できない」です。

それに、孫が立派な大人になる事には、自分は生きているかさえわかりません。

だとしたら、孫を溺愛するよりも犬の子を育てた方がましだということを伝えることわざになります。

犬は昔から3日面倒を見ると、生涯その恩を忘れることができないと言われています。

孫をいくら可愛がっても、その愛情を返してくれるとは限らないのだから、その愛情の見返りを期待しない方が良いという意味のようですね。

犬の海外のことわざ~イギリス編~

ことわざは日本だけではなく海外にも存在しています。

中には犬を例えにつかったものもいくつかあるので、ここではイギリスで使われている犬にまつわることわざをご紹介します。

子供が生まれたら犬を飼いなさい

子供が生まれたら犬を飼いなさいということわざは正式には誌の範疇に入ります。

「子供が生まれたら犬を飼いなさい。
子供が赤ん坊の時、子供の良き守り手となるでしょう。
子供が幼少期の時、子供の良き遊び相手となるでしょう。
子供が少年の時、良き理解者となるでしょう。
そして子供が成年になった時、自らの死をもって子供に命の尊さを教えるでしょう。」

という内容です。

この内容だけでもとても良い詞だということがわかりますよね。

このことわざの意味は犬が子供に何かをしてもらうということだけではなく、子供が犬に対して特別な感情を持ち、その感情の元で何をしてあげたいのか、何を思うのかを考え行動します。

このように人間だけで暮らしていてもわからないことをたくさん学ぶことができると示しているのでしょうね。

犬を愛さない者は紳士でありえない

犬を愛さない者は紳士でありえないの意味は、犬はとにかく愛すべき存在であるということを意味しています。

ヨーロッパの他の国々とは異なり、イギリスでは犬を牧羊犬としてではなく、飼い犬として可愛がっていました。

そのような犬を大事にする国であるイギリスならではの歴史的背景から生まれたことわざです。

犬の海外のことわざ~アメリカ編~

続いて海外のことわざアメリカ編で犬にまつわることわざについて複数ご紹介します。

海外にも色んな犬を使うことわざがあって面白いですよね!

ライオンの尻尾になるよりは犬の頭になるほうがいい

ライオンの尻尾になるよりは犬の頭になるほうがいいの意味は、大きなライオンの役に立たない尻尾になるよりは、犬の頭になって自分らしく生きた方が良いという例えから生まれたアメリカのことわざです。

一緒下積みで終わるより、小さい組織の中でも重要なポジションにいる方が生き甲斐を感じられるということを意味しています。

人を愛するならその飼い犬も愛せよ

人を愛するならその飼い犬も愛せよの意味は、主人を尊敬するのであれば、主人の飼っている犬までも大切にするはずであるという考えから生まれたことわざです。

自分のことを愛しているのならば、自分の欠点も含めて全てを愛してほしいという意味があります。

日本では反対の意味のことわざに「坊主憎けりゃ、袈裟まで憎い」というものが当たります。

犬の海外のことわざ~フランス編~

続いて海外のことわざフランス編をご紹介します。

海外のことわざを見ていると犬も人間も平等という考え方がひしひしと伝わってきて素敵なものが多いのはわかりますね。

フランスのことわざにはどんなものがあるのでしょうか。

犬は猫を産まない

犬は猫を産まないの意味は「子は親に似る」という意味になります。

当然のことですが、犬からは犬しか生まれませんし、猫からは猫しか生まれません。

日本では「蛙の子は蛙」ということわざが同じ意味で使われています。

どんな親から生まれても子供はその親の子供であることは紛れもない事実。

その親を見て育つのですから、突然変異のような子は産まれないという意味を持っているのでしょうね。

犬も司教様の顔をじっと見る

犬の司教様の顔をじっと見るの意味には、2つあり、1つ目は「司教様は大衆の目下の人に興味深い目でじろじろと見られても、怒ってはいけない」という意味で、

2つ目は犬の立場に立った場合の考え方で「自分より身分の高い人や目上の人などに、要求したいことや言いたいことがある時は、臆さず堂々と伝えるべきである」ということを意味しています。

現代であれば、上司と部下や先生と生徒、先輩と後輩などの上下関係に置き換えると分かりやすいかもしれませんね!

犬の海外のことわざ~中国編~

続いてのことわざは中国編です。

中国にはさまざまなことわざがありそうですね。

犬にまつわるどんなことわざがあるのかご紹介します。

羊頭を掲げて犬肉を売る

羊頭を掲げて犬肉を売るを簡単に説明すると、表向きは立派だが、内容がともなってないことのたとえです。

また、見せかけや宣伝とは違う粗悪なものを売るという意味もあります。

詳しく説明すると、立派なものでお客さんを寄せ付けて、実際にはそうではないものを提供することを表しています。

転じて、表向きは立派だが、内容がともなっていないことを意味するようになりました。

似たようなことわざに「看板に偽りあり」や「牛頭を掲げて馬肉を売る」というようなものもあります。

犬の屁も通らない

犬の屁も通らないとは、文章がでたらめなことを表すことわざとして使われています。

また、くだらないことを言うなという意味で使うこともあるでしょう。

日本で使われている似たようなことわざには「犬も食わぬ」があります。

犬の海外のことわざ~その他の国・地域編~

次に海外のことわざその他の国地域編をご紹介します。

このように犬にまつわることわざを調べてみると、日本だけではなく海外にもたくさんあることがわかりますね。

タイ:犬に噛みつかれても犬を噛むな

タイで使われていることわざに犬に噛みつかれても犬を噛むなというものがあります。

意味は犬に噛みつかれたからといって誰も犬を噛もうとしないように、バカな相手に攻撃をしかけられてもいちいち相手にすることはないという意味です。

相手より一段高い立場に立って、無駄な争いを断ち切ろうすると知恵でもありますね。

相手が悪意で攻撃してきても、善意をもって答えようすることわざになります。

イエメン:主人を大切に思う者は犬も大切に思う

つづいてイエメンで使われている主人を大切に思う者は犬も大切に思うということわざです。

意味は大切に思う人、愛するものがあれば、その人の家族やその人に関わずものすべてが大切なもの、愛おしいものに感じられるという意味になります。

主人を尊敬するものは、主人の飼っている犬まで大切にするという考えからきています。

先ほどご紹介したアメリカのことわざ「人を愛するならその飼い犬も愛せよ」と同じような意味ですね。

まとめ

今回は、犬にまつわることわざを日本だけではなく海外のものまでご紹介してきました。
いくつわかりましたか?

海外にも犬に関することわざがたくさんあることがわかりましたが、どれも捉え方によっては日本のことわざと意味が似ているものが多かったように思います。

探せばまだまだあると思うので、興味がある方はチャレンジしてみてくださいね!

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