ハチ公はどんな犬?『忠犬』と呼ばれるようになった感動物語をご紹介

2022/02/05

目次

ハチ公はどんな犬?

皆さんは、忠犬ハチ公をご存知でしょうか。

渋谷駅前にある銅像のモデルとなった秋田犬のハチは、主人との深い繋がりと信頼関係で結ばれた存在として広く海外にもファンがいます。

飼い主が亡き後も変わらずに、自分を可愛がってくれた飼い主の帰りを渋谷駅で待ち続けました。

健気なハチの存在は、当時の様子を知る人達はもちろん全国にまで広がり多くの感動と感銘を与え、渋谷駅を始めゆかりのある地域や建物にはハチ公像や飼い主であった上野博士と嬉しそうにはしゃぐハチ公像が建てられています。

ハチの犬種や生涯をご紹介していきます。

ハチ公の犬種「秋田犬」はどんな犬?

秋田犬は、日本犬の中で唯一の大型犬として登録されています。

大型犬であるがゆえに、育てる環境を整え適切なしつけを行う必要があり誰でも飼いやすい犬種ではありません。

あまり見かけることも少ない秋田犬の特徴や性格についてご説明していきます。

秋田犬の身体的特徴

秋田犬の毛色は、赤・白・虎毛の3色があり一番多いとされているのが赤毛となります。

飼い主と共に山に入り狩猟の手伝いをしていた犬として、大きくたくましい体つきとスラリと伸びた足・くるっと巻いた尾を持っています。

秋田で狩猟を行うマタギに重宝されていた犬が由来となっているので、東北の厳しい寒さに強いダブルコートの被毛が特徴です。

寒さには強いですが高温多湿の夏の気候には弱く、地域によっては難しいかもしれません。

また、かなりの運動量を必要としますので散歩はもちろん、ドッグランなどで走り回れるような環境を用意してあげましょう。

力も強く、万が一のときは制御する力が飼い主にも必要となりますので、小さいお子様がいる家庭の場合はよく熟慮してからお迎えしてください。

秋田犬の性格

秋田犬は、飼い主と認めた人に対して従順で穏やかな性格といわれています。

その一方で、初対面の人や犬に対して警戒心を抱きやすく、攻撃的な面も持ち合わせています。

認めた飼い主以外への反応としては賢いがゆえとも言えますが、パピー期のころからしっかりとしつけを行わないと誰の言うことも聞かなくなりますので、家族に迎えるには覚悟と経験も必要となるでしょう。

また番犬としての活躍も期待されますが、近年では周囲の環境や人との良好な関わりを大切にしたほうが現実的かもしれません。

(駄目なこと・良いこと)の指示が伝わる信頼関係を築ければ、頭が良くて優しい頼もしいパートナーとなってくれます。

秋田犬の歴史

秋田犬は江戸時代以前から狩猟を行うマタギと一緒に山に入り、狩りに欠かせない存在として重宝されていました。

当時は狩りを行う犬のことを(マタギ犬)と呼んでおり、秋田県大館市に生息していた(アキタマタギ犬)が秋田犬のルーツともいわれています。

江戸時代に入ってから秋田犬は闘犬として育てられるようになり、より強い犬を生み出そうと西洋犬との掛け合わせが進められました。

そのため純血腫が減少しましたが、数少ない秋田犬の保存活動のおかげで昭和に入って天然記念物として指定されています。

しかしその後、太平洋戦争が勃発し食糧難の中で犬を育てる余裕や確保が難しかったことや、軍用犬として使用された際に西洋犬と混血が進んでしまったことにより、再び純血腫の数が激減することになります。

戦後になって、秋田犬の保存活動が再び行われて少ない純血腫を絶やさないように人々が尽力し、活動は日本だけではなく海外にまで及びました。

ちなみに、戦時中に西洋犬と混血した秋田犬はその後アメリカへ渡りましたが、秋田犬をルーツに持つ(アメリカン・アキタ)という犬種がいるのはご存知でしょうか。

秋田犬の大きな体と飼い主にどもまでも忠誠を尽くす性格は、アメリカでも大人気となっているのは周知の事実です。

ハチ公が「忠犬」と呼ばれるようになった物語とは?

みなさん、何も疑問を感じずに(忠犬)という言葉を使ってるかもしれません。

渋谷に銅像として佇む実際のハチは、忠犬という言葉に全く違和感のない行動と愛情を見せてくれた犬ではないでしょうか。

ここでは、そんな忠犬ハチ公の生涯をご紹介していきます。

ハチ公と上野教授の出会い

飼い主である現・東京大学農学部教授だった上野博士は大の犬好きとして知られ、東京都渋谷区にある自宅に秋田県から小さく可愛らしい子犬を引き取りました。

当初は上野教授の娘が飼う予定だったのですが慌ただしく結婚と妊娠が判明し、上野教授が面倒をみることになったその子犬は末広がりの足の形からハチと名付けられました。

当時は外で飼うのが当たり前だった犬を自宅内で寝かせるなどとても可愛がり、大きな愛情を掛けて育てたそうです。

ハチは每日、上野教授の出勤の見送りとお迎えをするために渋谷駅を訪れるようになり、周囲の人達や駅員に見守られ可愛がられました。

上野教授を待ち続けたハチ公

幸せな每日が続いていましたが、ある朝同じように上野教授を見送った後に自宅に戻ったハチは、何かを感じ悲しげな声で鳴き始めました。

大学で教鞭を取っていた教授が突然倒れ、そのまま帰らぬ人となったのです。

妻と二人暮らしだった上野教授の自宅は売りに出され、妻は故郷へハチは知り合いの家へと新たな生活を始めます。

ですがハチは預けられた家を度々脱走し、可愛がってくれた上野教授の送り迎えのために每日決まった時間に渋谷駅へと向かいます。

いつしか住むところも失い、渋谷駅の周辺で野良犬のような暮らしが続いたある日、新聞記者の目にとまり全国にハチが紹介されることになりました。

その記事は上野博士の妻の目にも入り、心配した妻は上京しハチは懐かしい人と再会を果たします。

それがかつて幸せだったころの思い出を呼び起こす最後の対面となりました。

昭和10年3月8日、大好きな上野教授にひと目会いたいと願いながらハチはその生涯を閉じます。

ハチ公の死因は?

ハチは死後、現・東京大学で病理解剖が行われ心臓や肝臓にフィラリアの寄生を確認しています。

さらに胃の中から焼き鳥の串も発見され、当時の渋谷駅周辺の屋台で与えられた焼き鳥だった可能性もあります。

これらの要因から、犬にとって今も恐い病気のひとつであるフィラリアと串による消化器官の損傷が死因とされました。

ですが近年になって、その考えが大きく覆されました。

ハチの内臓を保管している東京大学は、2011年にMRIなど最新技術によって再度細かく検査を行ったところ、心臓と肺に大きなガンがあったことが判明しました。

よってハチの死因はおそらくガンであったのではないかと考えられています。

まとめ

ハチと上野教授が一緒に暮らした期間は、1年とも1年半ともいわれておりどちらにしても本当に短い間でした。

そんな短い期間でも、お互いを信頼し愛し愛された関係を築いたふたりは、今は天国で仲良く暮らしているでしょう。

犬と人はわかり会える最高のパートナーとなることを実感するハチの一生は、この先も多くの人に感動を与え続けてくれることを願っています。

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